こんにちは!
「人を育てる人」を育てる エニアグラム伝道師 にいみ裕子です。
TVで、アメリカのハーレムにある
プロセスアカデミーという学校が紹介されていました。
ここは、幼稚園から高校までの一貫校なのですが、
貧しい人たちが無料で行くことができます。
その理念に賛同した国(州?)が、
補助金を出しているからなのです。
でも、ここに通う子供たちには、
厳しい約束(プロミス)があります。
「大学に行く」という約束です。
なので、毎日朝から、
学校の理念とその約束について、
幼稚園の子も含め、みんなで唱和します。
ハーレムで育っても、
教育があれば人生を変えることが出来る。
小さいころから、その目的を叩き込むのだそうです。
その約束が守れないと、
国からお金が出なくなってしまうので、
学校はとにかく子供たちを大学に行かせる
ために努力をしています。
それはつまり、
落ちこぼれを出さない努力で、
先生は2人体制
席はグループでまとまり
みんなでガヤガヤしてもいい
人に聞いていい
:
等
目的が明確なので、
ぶれることがありません。
どんな目的のために、それをしているのか?
どうやれば、それができるか?
そのための発想は自由です。
なので、
みんなとても楽しそう!!!!
その結果、
去年は全員が大学に合格したのだそう。
もし、その目的のために、
「こうしなければならない」という発想だったら、
どうなんでしょうね。
そこへの行き方は、
しなければならないこと、
してはいけないことが沢山あって、
そこから外れないようにしなければなりません。
それって、楽しくないですね。
目標を達成する前に、
挫折してしまうかもしれません。
でも、自由だと、
収拾がつかなくなってしまいそうですよね...
だから、
「ねばならない」の発想が生まれてきます。
自由にさせると、
クラスがうるさくなって勉強がすすまない。
怠けて勉強しない子が出てくる。
だから、「ねばならない」の発想が必要...
本当にそうでしょうか?
みんなが「大学に行く」という目標・約束を、
実現するという思いを「本当に」持っていたら、
騒いだりうるさくなったりしませんよね。
怠けてさぼったりすることもありませんよね。
「ねばならない」の発想は、
人を小さくしてしまいます。
窮屈で、おもしろくない。
可能性を狭めてしまいます。
そうではなくて、
そこに行くためには、
そこがどんなにすばらしくて、
行く価値があるところなのか、
明確なぶれない目的と目標(約束)を持つこと。
そして、そこへの道のりは楽しく。
それが、そこに行くエネルギーを生み出すんですね。